far_from_fire’s diary

感情の墓場。

興味関心・得手不得手・無意識の行為

 

今日は自分が何に興味を持ち、何を好きになりがちなのか、どういった経緯で惹かれるのかを取り留めもなくまとめてみる。

 

キーワードを箇条書き(もしくは単語)で。

 

【興味関心】

・自己(という存在/概念)

・自己と他者(の混じり合い/関係性/効能/ストレス)

・身体

・身体───メルロ=ポンティ

↑哲学的思考

・人類学(的思考)

・暴力と繊細さ

・滑らかさとぎこちなさ

SOFT BALLET

SOFT BALLETの影響元

アンビエント(芸術作品)

・音楽ジャンル(特にアンビエントEBMオルタナティブエレクトロニカ、インダストリアル、テクノ、ガバ、ニューウェーブ、インストもの)

・物体の形状(を眺める)

・スキンケア(ニキビ跡と毛穴改善)

・ディスプレイ(すること)

・ミニシアターで上映される系統の映画

 

【好き/落ち着く空間】

・書店

・自室

・植物園/温室

・高速バスでの移動

・水辺(海岸/鴨のいる水辺)

 

【好きな物体/存在】

・書籍

・花器

・食器/カトラリー

・クッションカバー

・トレー

・鴨

・坊主

・うねり/曲線

・映画のフライヤー

・フリーペーパー

 

【好き/信頼できる書き手】

ヴァージニア・ウルフ

・石沢麻依

レベッカ・ソルニット

・小津夜景

・和山やま

 

【好きな色】

・グレー(濃淡問わず)

・青(鮮やかでも淡くても)

・○○グレー(ブルーグレー等)

・オレンジ(差し色として用いたい)

・緑

 

【好きな行為】

・空想する

・寝る

・飾る

・見る

・聴く

・デザインする

・真似る

・物体の形状を眺める

 

【無意識でしている行為】

・空想する

・考える(次々と思考対象が移り変わってゆく)

 

【不得手】

・効率の良い動き

・察すること

・自分に今求められている役割に気付くこと

・覚えること

・コミュニケーション

・気遣い

・人目を気にしない(だいぶ改善されてきた)

・自分がここにいていいのだと思えること

・自分の存在意義をできる限り水平に保つこと

・簡潔な説明

・タイミングの掴み方

 

 

高校2年だか3年だかの頃タガが外れてぶっ壊れてから、己が急速に変化している感がある。

それは主に心理面やそれに伴う好む対象の変化、好ましかったものへの違和と遠のきによるものだろう。

 

ぶっ壊れた時、泣き喚きながら、「自覚していなかったけれど、限界だったんだ」と気付いた。今振り返ると、「ようやく気付けた、ここから始まった」という感じか。

 

様々なストレスとコンプレックスに苛まれていたが、最も負荷に感じていた父親の存在で、許容量が超えたらしかった。「私には無理なんだ、諦めよう」と悟り、私は"冷たい人間"になった。

 

父親が"嫌い"ではなく、"無理"になった。

 

距離を置くことを覚えた。話しかけられても無視をする。「本当に必要なこと以外話しかけないでくれ」とはっきり伝えた。父の日や誕生日プレゼントも送らなくなった。

 

つまり、父の機嫌を伺うことをやめたのだ。もうすっかり疲れていた。正直罪悪感はあったが、すっきりした。

 

しかしだからといってこれまで感じてきた恐怖や、それによる望まない身体の反応、不安な気持ちがなくなりはしなかった。

 

それもそうだろう。15年ほどの期間、怯えて、怒りを持ち、時折泣きながら暮らしてきたのだから。

 

怯えは実家を出るまで続いたものの、怒りは徐々に減っていった。

 

期待をやめたら怒りも消えると気付き、期待する己を律し始めたからだ。

 

怒鳴られなくなったのも大きく影響しているだろう。

 

身体(性)や自己と他者に興味関心を持つきっかけは、父と己の存在がたぶんに大きい。

 

そして、これは私はとって随分と未来志向な変化である。

 

知りたい、克服したい、変わりたいと思っていることに繋がっているからだ。

 

私はまだ、生を諦めていないし、己は改善できると思っているし、そのモチベーションがある。

 

気力があるのだ。

 

今は職場でうまく動けない己に悩んでいる。

 

その解決の糸口として、書物や哲学者の権威におもねっているわけだ。

 

徐々に開かれていく己は面白い。だから精神が堕ちてまた動けなくなる前に、気力があるうちにできる限りの補填をして日々過ごしていきたい。

 

父と己の存在は、暴力と繊細さへの関心にも枝葉を伸ばしている。

 

暴力は繊細さと切り離せない関係性を構築していると思う。

 

繊細(と自称する/自他共にそう見受けられる)人間の繊細要素は、時に人を、更に己ですら苛つかせる。これを一種の暴力だとみなした時、うじうじする己と決別したい気持ちが増した。

 

繊細さを自認する己に、暴力を振るっている時と同じ罪悪感を覚えた。

 

ここを変えないと変われない気がした。今もしている、から改善中だ。

 

だが暴力が心地よく、寄りかかりたい時もある。

 

そんな時はSOFT BALLETを投入する。

 

藤井麻輝の破壊、咆哮に身をゆだね、あたかも傷ついた獣のごとく傷心の己を労わる。

 

滑稽ながらも、今はこの方法なくして日常を過ごせないため頼らせてもらっている。

 

SOFT BALLETのギラっとした輝きは、良いな。

 

SOFT BALLETとかタル・ベーラとか哲学的思考とか、周りに引かれようとも、やっぱり好きだから大切にしたい。

 

所持して、触れて、取り込んで、驚かされて、身体図式を書き換えてゆくのだ。