far_from_fire’s diary

感情の墓場。

かなり久しぶり

全然ブログを更新していなかった。たまに存在は思い出していたんだけどな。

 

最初のブログを見返したらやけに難しい言葉を使っていたから恥ずかしい。

変に格好つけると後で恥ずかしくなるものだ。

 

さて最近は久々に映画ブームがきており、ウォッチリストに入れたままだった作品をいくつか観ることができている。

今日は『関心領域』の続きと『栗の森のものがたり』を観た。『関心領域』はそこまで、、、だったが『栗の森のものがたり』が良かった。映像の彩度明度が良いなと思っていたら、どうやらフィルムで撮影したらしい。どうりで。音楽も良かったな。死の直後に現れる三人組も可愛らしかった。やはり私はこういった夢と現のはざまが立ち現れる作品に惹かれる。アピチャッポンの『メモリア』と迷って未見のこちらにしたが、『メモリア』も観たくなってきた。なんならタル・ベーラ作品も観たい。

 

けれど今日こそは通い始めたジムにも行きたいのだ。月額分通えていないので、、、、もったいないことをしている(やはり人がいる場所で慣れないことをするのは緊張する)。

 

今日こそは行くぞ、、、、、

 

昨日先輩にいい勉強場所を教えてもらったので明後日行ってみたいと思っている。おにぎりでも持参しようかな。お茶も持ってこう。HARIOのフィルター付きボトルが便利で、蓋裏に茶漉しが付いているからボトルに茶っ葉を入れて冷やすだけで冷たいお茶がごくごく飲めるのだ。おかげでルピシアの消費が進んでいる。平日はどうしても疲れてだらけてしまってお茶を淹れる余裕のある日が数えるほどしかない。

 

更新していない間に人生初のユニバに行ったりもしていた。湯布院も行った。そして来月もまたユニバに行く。ハロウィンナイトだなんて絶対楽しい。わくわくする。

 

香水集めにもはまっているので大阪でこちらにはないブランドの香水をあわよくばゲットして帰りたいとも思っている。大阪はほんと都会。色んな遊び方ができる場所なんだろうな。

 

後はまあぼちぼち、自分を癒す時間を取りながら、仕事もできる人間になっていけたらと、それをベースに日々過ごそうと思う。

 

 

 

年の瀬

今年を大まかに振り返ろう。

 

1月:病んでた。が、まだまだやれるしメンクリがよぎりつつも乗り切る気持ちが強かった。休日は遊びに振り切って楽しむぞと意気込んでいた。実際は休日も心休まらずにいた。末に実家に帰るのを心待ちにしていた。親には言えなかった。ばあちゃんの前で「職場の人はみんないい人たち」と言った気がする。

 

2月:いよいよメンクリがよぎる。予約を取り、行ける日を頼りに過ごしていた。動悸が止まらず、朝起きるのが苦痛だった。末にメンクリに行くと休職してください、ドクターストップですと言われ、ショックとこれからに不安を覚えた。夜、母に電話をし初めて状況を伝えた。翌日母が来て、職場にも連絡して休職生活に入った。

 

3月:休職していることに後ろめたさを覚えつつ、ほとんど家で過ごす。せめて自炊をしようと思ったがスーパーに行くのも怖いし気力が湧かず。焦りの中にいた。

 

4月:引き続き休職。復職を職場より促される。正直まだ休んでいたかったが、後ろめたさと焦りと棄てられることへの恐怖で、試し出勤することになる。27日、試し出勤をした。その後、正式に復帰となる。なおドクターに報告したところ、「こちらの許可無しに復職は普通はありえない」と言われ、ブラックさをほんのり認識した(こういうのにいつも気付けない)。

 

5月:地元の友人と遊ぶ。ほんのり疲れており人嫌いのケがするなか過ごした。精神の状態が悪いときいつも大きめの衝動買いをしてしまうのだが、miu miuの香水を買ってしまった(なお、後悔はしていない。お気にいり)。

 

6月:ひとりで過ごすことを好む。購入したDVDプレイヤーで『アンダルシアの犬』を観てご満悦。カリガリのCDも買った(つまり特筆すべきことはなかった。)

 

7月:帰省する。祖母の奢りでみんなでご飯。甥っ子におもちゃを渡して社会人気取りをする。幸せ。実家のうさぎとも久々に会えた。友人と遊び今年初のかき氷を食す。居心地の良いひとたちだと再認識。知り合いの画家さんの個展で絵を買う。こんなことは人生初めて。わりかし調子が良い。ご機嫌。

 

8月:地元の友人と遊ぶ。何をしても楽しい。観葉植物にハマり色々買ってしまう。中旬に帰省。今度は父方祖母の初盆のため。3日後、初カリガリライブ。青さんが私の席のパイプ椅子に立ち、ゼロ距離状態に混乱する。ママパパが良すぎた。感無量。翌日、カリガリメンバーとの撮影会。近さにキレ散らかしながら無事終了。写真はちゃっかりプリントアウトした。翌週、友人とWEST.のライブへ。初ドーム。最前だがステージ真横過ぎてあまり見えず。アイドルのライブに行ってみたかったし楽しくて充実していた。

 

9月:職場の先輩と『ラストマイル』を観に行く。野木さんの作品がやはり好きだと再認識。中旬、今度は後輩とハウステンボスに。ナインチェ(ミッフィーではない)に興奮。自分のような人間がまさか職場の人と遊びに行けるとはなあと感慨に更ける。

 

10月:英国展に行く。後輩と大宰府食べ歩きをする。地元の友人と茶をしばく。来月も会う約束をする。こう振り返ると、なんだかんだ誰かしらと遊んでいるなと思うなどする。末に初のネイルサロンに行く。後輩とスイパラにも行っていた。珍しく活動的で元気だ。

 

11月:年末調整の書き方を忘れる。期日ギリギリに仕上げて出した。今年のは写真に残したので来年は安泰だろう。先月の反動でほぼ遊ばず、気力もあまりなかった。私生活がおざなりに。先月の子と月末に会い、人生を楽しみたい気持ちを捨てきれずスワンボートを漕ぎ、行ってみたかった洒落めかしたカフェにも行った。

 

12月:11月を引きずり生活は雑なまま。ずっとうっすら疲れている。やってみたかった額縁ネイルにご満悦。ライブに向け自分のメンテに取りかかる、が、相変わらず気力少なめで前日に駆け込みで準備をする始末。ライブは楽しく、特に一日目は猛り狂った。末に職場の忘年会があった。吐かなくてよかった。

 

来年の目標めいたものとしては、自分ケアに力をいれること。自分を天塩をかけて育てたい。大事にしてやりたい。

 

以上。何となくでやってきた2024さよなら

 

 

大事にしない

1個1個を重く受け止めるから疲れるんだな〜とぼんやり思いついたりなど。

私、色んなことを大袈裟に捉えすぎている。だから疲れるんだ。これが疲れの一因か。

ある程度適当に捉えなきゃな。もう少し身軽に、気軽に。

分からないことはさっと聞いちゃおう。答えてくれる人たちばかりだから。

面倒くさいこともやった方が早く終わる。どうしても嫌な時以外はちゃっちゃとやっちゃおう。

 

主に仕事(人と関わる時)の悩みたち。

 

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大久保佳代子とらぶぶらLOVE、初めて聴いている。ぼんやりと流し聴き。

大人になってからと子どもの頃とじゃ芸人さん(芸能人)への印象って大分変わってる。

人生の先輩みたいに、同僚みたいに思えることが増えてきた。

 

さて1時間仮眠したいが、毎回目覚ましかけているのにならなくて朝になるので今日もそうなりそうで気になる。

今日は充電されてなくて目覚ましが鳴らず、偶然間に合う時間に起きられたからよかったものの、肝が冷えた。

スマホのアラーム鳴らない時ない?かと思えば爆音で鳴る時もある。全部気のせい?

 

分からないけれど、今日も仮眠チャレンジする。懲りないからね。

 

 

 

20241129

タイトルを年月日にして、一年の早さに驚いた。もう12月になるのだなと。

 

11月はさして変わりなく、相変わらず鬱的な気持ちになり生活を怠惰にこなし過ごしていた。

 

明日二ヶ月ぶりに友人と会うことが当月唯一の誰かとの外出になるくらいで、人との予定も入れず、疲れながら仕事に行き、休日は眠り続けた。

 

しかしいつまでも怠惰に過ごすわけにもいかないので、生活の改善のためにタブレットを購入した。実家時代からほしかったから、数年間ほしがっていたわけだ。そういえば今月は数年間ほしかった本も買った。そういう月だったみたい。

 

そんなわけで、さっそくこのブログをタブレットで綴ってみている。

 

なぜタブレットがほしかったのかというと、貴重な平日の夜の時間をスマホで費やすことを極力避けたいと思ったからだ。

 

主にツイッターで時間を溶かしてしまうわけで、この心地よさに抗うのは難しい。

 

が、時間を無駄に過ごした感も強く、読書や音楽を聴く時間をもっと持ちたい気持ちもあった。

 

プラス、スマホ(ネット環境)でないと楽しめない他の娯楽もあったりして。

 

では利用目的を限ったもうひとつの端末を買おうとなったわけである。

 

タブレットは、動画鑑賞(サブスク)、ブログ、ラジオ、趣味の出版社HP巡り、アーティストの情報収集を主目的に愛用していくつもり。

 

まあスマホをいじり倒したい日はそうするけれど、そうでない日は離れることで生活のバランスをとっていきたい。

 

 

もっと気軽に雑記を

ということで、特筆すべきの有無に関わらず、まずは雑記(このブログ)の不定期かつ継続的な更新を目指すことにした("不定期"というのが私的継続のコツ!)。

人に影響されやすい私、例に漏れず今回のこの思いつきもそう。

何かを継続できる人、何かに打ち込める人、作品を生み出す人に憧れているわけだが、私も不精ながらそんな人間になろうと思い立ち。

副産物として、記憶の定着も密かに期待しているところ。

 

さて、今日は仕事がお休みだったけれど6時台に目覚め、しばらくゴロゴロしてから起床し、街にでた。

買い物を済ませ帰宅すると、眠気に任せて昼寝をし、起きては寝てを繰り返して外がすっかり暗くなる頃ようやく覚醒。

鍋料理をしたことがなかったが、夕飯に初めて拵えた。白菜と、白滝と、椎茸と、豚肉。

4分の1カットの白菜のほとんどを詰め込んだせいで、つみれと豆腐が入り切らなかった。カレーでもなんでも、いつも食べきれないくらい作ってしまう。

今回は白菜がしんなりしてくれたおかげで大分嵩が減ったけれど。

食生活がおざなりなのが流石に気にかかるようになってきたので、野菜を摂れた今日は大変良かったのではないでしょうか。

他にも生活を整えたくて、そのためにiPad(タブレット)がほしいのと、スマホを見る時間を減らして読書の時間を増やすのと、家事を溜め込まないようにしたいところ。

これらを一気にすると、反動である日ぷつりと全てを投げ出してしまう性分なため、程々に、手を抜く日は抜いてやっていこう。

お久しぶり

実はブログを始めた一番の大きな理由は、病んでいたからだった。

 

そしてブログが止まっていたのは生来の三日坊主な性格に加え、良い意味で日々が目まぐるしかったからだ。

 

元々落ち込みやすく涙の出やすい質ではあったが、職場の人間関係で追い詰められ、絶対に涙を流さないと決めていたのに泣いてしまったこと、朝起き上がるのが億劫になってきた事で、昨年冬、危機を感じ始めた。

 

一方この生活を死守したかった私は、誰にも言わぬまま、大丈夫、大丈夫と唱え乗りこなそうとしていたし、できるとまで思っていた、かもしれない(当時の心境をよく思い出せない。喉元過ぎればナントカである)。

 

しかし乗り越えるにも自分ひとりでは煮詰まってしまい、メンクリに助けを求めることにした。仕事を続けていくためのヒントを貰えたら、薬で己がマシになれるのならと思い。

 

医者から告げられたのは、「今すぐ休職してください」「ドクターストップです」だった。

 

口調は柔らかでも、譲る気のない意思が篭っていた。

 

粘ったが根負けし、了承した。

 

職を失う覚悟もした。入職して数ヶ月の人間が休職するなんて、職場から見放されると思った。対して役にも立たない人間は居ても居なくても一緒なのだからと。

 

あの場から距離をおけるという開放感は駅に向かう道すがらですぐに遠のき、一気に不安に包まれた。

 

なんて言おう、どうすればいいのだろう、休職なんて職場に伝えてすぐできるものなのか、と様々な考えが頭を巡った。

 

その頃は当たり前になっていた動悸が、更に激しく聞こえた気がした。

 

社会不適合者は、堕ちるしかないのだと、妙に染み入った。

 

結論、職場の人間はすぐに休職を受け入れ、職場環境を刷新し、心配し連絡をくれた人もいた。

 

優しさが辛いほどだった。

 

2ヶ月の休職期間を経て復帰したが、今思えば休職中が最も辛かった。

 

既卒入社、学歴コンプレックス、対人コンプレックス、きっと皆言わないだけで私を蔑んでいるのだろうと思い続け止まない卑下。

 

一番ショックだったのは、そんな体調の中足を運んだ、楽しみにしていた映画を楽しむどころではなかったことだ。

 

動悸が止まらず、段々と気分が悪くなり、吐き気すらした。意地で二作品観切ったが、疲れ果てたし、悲しかった。様々な悲しみを記憶から引き摺り出し、自己嫌悪をあおり、自嘲で己を慰めながら帰宅した。

 

いつもの不健康なルーティン。

 

結局職場としても早く復帰してほしかったようだし(人手不足だからね)、三ヶ月もせず復職した。

 

今の怠けきった思考下の自分からしたら、もう少し休んでおけば良かったと思わなくもないが、あの時は焦っていたし、何より母に心配をかけたくなかった。

 

気が弱いのだ、結局。

 

復職や健康を望まれたら、その通りにしなければと思うし、焦る。

 

私が復職する前に新人が三人既に働き始めていて、職場環境や対人関係への不安はあったものの、就職から一年を過ぎた今の心境としては、ああ、今が一番幸せ、ということ。

 

自分にまつわる悩みや悔しさ、葛藤、憤りは今も日々育ち、尽きないが、それは私が私である限り一生つきまとうものだと承知であること。

 

この話はまた今度。気が向いたら、整理がてら呟こう。

 

 

 

 

苦手じゃない運動

 

私はどんくさくて、運動が大の苦手だ。一方、好きか嫌いかを問われると、「嫌いではないが、体育の授業は苦痛」と返答するだろう。つまり、苦手ではあるものの、親しい人となら楽しむこともできる行為といえる。

 

そんな運動のなかで、ごく自然に取り組みやすく、割と快感を覚えるのが文章の波に乗ること。

なんだ、運動じゃないじゃないかと言われそうだが、これもまたひとつの運動だといえる。

文章を読むのにも"ライド"は伴うのだ。

 

……なんて偉そうに雑記を始めてしまったが、これは今読んでいるエッセイの受け売りで、「確かにそうだ!」と膝を打ったため衝動的に綴っているのが事実である。

 

そんな読書も久々にゆっくり楽しめている。元々多読者ではなく、買っては積み、を繰り返す性分ではあるが、ふと読みたくなって頁を繰るとどこか満たされた心地になる。余裕もないと本は読めないしね。

 

せっかくブログを開いたことだし、この本の好きな文章を並べてしめることとする。

 

"言葉は楽譜よりも余白が大きく、多くの解釈がわたしにゆだねられていた。それはまた、言葉のほうが構造が弱く、意味が言外へとそれやすく、迷子になりやすいということでもあった。"

 

"過去がまぶしいのは、それが風化する運命にあるからだ。そして思い出に胸が熱くなるのは、いくたびもの忘却をくぐりぬけ、いまもなおそこに残っていることが奇跡よりほかのなにものでもないからだ。"

 

"鼓動とは、とめどなく胸に打ち込まれる斧である。意識は、その斧の、いわば木霊として原初のゆらめきをなす。意識は肉体の蠢動との掛け合いに始まる。生きているかぎり、意識が肉体に返答しないという選択肢はない。肉体の外に出て意識をもつことが、わたしたちには許されていない。"

 

"(略)ひとがなにかに没頭するのを疎んじる勢力というのは、いつどこにでもひそんでいる。

そうした勢力に抵抗するには、ちょっとしたコツがある。それは、なに食わぬ顔を崩さないことだ。傷ついている猶予はない。まずは平然と、挫折を飼いならそう。そしてまわりの目を盗み、対策を練る。"

 

"(略)と、まもなく、頭上にふわふわと雲の浮かんでくるのが、雲の影で分かる。それげ「意味」なんだそうだ。"

 

今読んでいるところはここまで。