実はブログを始めた一番の大きな理由は、病んでいたからだった。
そしてブログが止まっていたのは生来の三日坊主な性格に加え、良い意味で日々が目まぐるしかったからだ。
元々落ち込みやすく涙の出やすい質ではあったが、職場の人間関係で追い詰められ、絶対に涙を流さないと決めていたのに泣いてしまったこと、朝起き上がるのが億劫になってきた事で、昨年冬、危機を感じ始めた。
一方この生活を死守したかった私は、誰にも言わぬまま、大丈夫、大丈夫と唱え乗りこなそうとしていたし、できるとまで思っていた、かもしれない(当時の心境をよく思い出せない。喉元過ぎればナントカである)。
しかし乗り越えるにも自分ひとりでは煮詰まってしまい、メンクリに助けを求めることにした。仕事を続けていくためのヒントを貰えたら、薬で己がマシになれるのならと思い。
医者から告げられたのは、「今すぐ休職してください」「ドクターストップです」だった。
口調は柔らかでも、譲る気のない意思が篭っていた。
粘ったが根負けし、了承した。
職を失う覚悟もした。入職して数ヶ月の人間が休職するなんて、職場から見放されると思った。対して役にも立たない人間は居ても居なくても一緒なのだからと。
あの場から距離をおけるという開放感は駅に向かう道すがらですぐに遠のき、一気に不安に包まれた。
なんて言おう、どうすればいいのだろう、休職なんて職場に伝えてすぐできるものなのか、と様々な考えが頭を巡った。
その頃は当たり前になっていた動悸が、更に激しく聞こえた気がした。
社会不適合者は、堕ちるしかないのだと、妙に染み入った。
結論、職場の人間はすぐに休職を受け入れ、職場環境を刷新し、心配し連絡をくれた人もいた。
優しさが辛いほどだった。
2ヶ月の休職期間を経て復帰したが、今思えば休職中が最も辛かった。
既卒入社、学歴コンプレックス、対人コンプレックス、きっと皆言わないだけで私を蔑んでいるのだろうと思い続け止まない卑下。
一番ショックだったのは、そんな体調の中足を運んだ、楽しみにしていた映画を楽しむどころではなかったことだ。
動悸が止まらず、段々と気分が悪くなり、吐き気すらした。意地で二作品観切ったが、疲れ果てたし、悲しかった。様々な悲しみを記憶から引き摺り出し、自己嫌悪をあおり、自嘲で己を慰めながら帰宅した。
いつもの不健康なルーティン。
結局職場としても早く復帰してほしかったようだし(人手不足だからね)、三ヶ月もせず復職した。
今の怠けきった思考下の自分からしたら、もう少し休んでおけば良かったと思わなくもないが、あの時は焦っていたし、何より母に心配をかけたくなかった。
気が弱いのだ、結局。
復職や健康を望まれたら、その通りにしなければと思うし、焦る。
私が復職する前に新人が三人既に働き始めていて、職場環境や対人関係への不安はあったものの、就職から一年を過ぎた今の心境としては、ああ、今が一番幸せ、ということ。
自分にまつわる悩みや悔しさ、葛藤、憤りは今も日々育ち、尽きないが、それは私が私である限り一生つきまとうものだと承知であること。
この話はまた今度。気が向いたら、整理がてら呟こう。